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第8回 「書道と俳句と禅」報告

今回は「書道と俳句と禅」で開催いたしました。12月25日といえばクリスマス、しかも師走のどこを向いても皆が忙しがっているこの日に、人間禅会員80名のご参加をいただきました。内容も素晴らしいもので、これまでのフロンティアとはひと味違った充実した回となりました。

講師にはザ・書家、というべき本物本格派のお二人、埼京の林玄妙さんと藤井紹滴さん、さらに俳句からは京葉の斎藤先生をお迎えしました。副題を「最高のものとは?」とし、人類の宝ともされる王羲之の書や芭蕉の俳句はどこが最高なのか、鑑賞のツボなどと共にお教えいただくつもりで、私自身書道をかじった身としてはモーレツに楽しみに臨ませていただきました。

まずは紹滴さんが、何のために書を学ぶのか?に対し、答えはいかに書くかの中に在る、とおっしゃい、これは私が学生時代に感銘を受けた如如庵老師の「禅者の人生観」の一節「問いをなぜ生きるのかと設定しない方がよい、どう生きるかとすべきである」とあったことを思い起こさせ、歩き様そのものが「なぜ」の解であること、「道」のつくものに対する姿勢だと再確認させていただきました。
そして中国の古代から明代までの代表的な書と日本の書、別格として禅者の書を紹介下さいました。500年代の強く伸びやかな文字、最高峰の王羲之、欧陽詢の楷書、黄庭堅の草書、董其昌など心躍るビッグネームが続き、紹滴さんのご説明であらためてその澄んだ線の美しさを鑑賞いたしました。

書は「上手くて良い字」「上手くて悪い字」「まずくて良い字」「まずくて悪い字」の4通りに分けることができ、書の上達にはまずは書法技法を習熟させること、それをやらないと我流になって何年やってもよくならない、しかし、その後には心の成長と共に書は変わってくるものであるとのお話でした。そうでないと「上手くて悪い字」「まずくて悪い字」で終わるということでしょう。(肝に銘じます。。)
書であるかぎり書法技法は何よりも大事、この習熟の為長い年月をかけて取り組むわけですが、紹滴さんがさりげなく、これらの手本なら心中してもよい、とおっしゃった中に書道家の凄みを垣間見た思いでした。

しかし、こうした書法を吹き飛ばす字がある、それが禅者の書である、これには何者もかなわない、として有名な大燈国師の「梅溪」をご紹介をいただき、会場は一様に大いにうなづきました。また書は王羲之を頂点にこれを重く見るか無視するかで書は分かれる、無視したものが禅者の書(つまり「まずくて良い字」)というところでなぜか会場が笑に包まれ!ました。書法を究めた究極の書と共に別格越格の書がある、そうした世界に皆さん一緒に酔いしれた一瞬だったと思います。
結局良い字とは、手が書くものではない、それには数息観が何よりも大事、とおっしゃり、紹滴さんは書く前には必ず坐禅をされるということでした。

最後に江戸から明治にかけて、名もなき文人たちが優れた漢詩と水墨画を寄せ書きにしたものをご紹介いただき、かつての日本にはこうした大変高い文化レベルが到る所にあった、しかし現代は漢字を制限し英語一辺倒で漢詩も読まないことからすっかり日常からなくなってしまった、誠に残念であるとのお話がありました。

最近文芸春秋でも英語でなく論語を読め、という対談がありましたし、少し前に「高校生が感動した論語」という本がベストセラーになりましたが、日本の現状は何を失ったがためなのか、という話題が最近よく出てきているように思います。まさに今回の紹滴さんのお話でもう一度足下を検証したい思いがいたしました。(人間禅の出番もいよいよか!)

続いて玄妙さんが芭蕉の「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」を挙げられ、「芸は道の形」であることを話されました。では何を書くべきなのか、との答えとして中庸の「喜怒哀楽未だ発せざる、これを中という」を引いて、禅味あふれるお話をいただきました。玄妙さんも紹滴さんと同じ王羲之、欧陽詢、空海などを挙げられ、やはり別格として一休、白隠の書を紹介下さいました。

型を習いに習った後に古人の真似を超えて書は「心正しければ筆正し」であり、ひたすら「万巻の書を読み、万里の道を行く」心意気で研鑚する、そして「現在只今生きている己自身」の表現に至る書、それが最高のものである、とのお話でした。誠に禅者ならではの素晴らしいお話でした。
この後、斎藤先生に俳句のお話をいただきましたが、古人が納得のいく一語が出るまで何カ月かけても見いだせるまで取り組んだ句の例を挙げられ、また良い句を作るには、私を捨てて目の前のものになりきるしかないという点で禅を同じとおっしゃり、芭蕉は空白の10年間は禅の修行をしていたのではないかとの考察を述べられ、ご自身のご経験も含め誠に興味の尽きないお話でした。
フォーラムの後は、お持ちいただいた書籍を鑑賞したり、禅堂に掲げられた宗演禅師の「直心道場」の額の前で、この書のどこが素晴らしいのかなどの解説を受ける人で賑わい、また懇親会でも講師の先生の席に代わる代わる質問をしに行ったりと、実に楽しく有意義な会になりました。

お話を総括しますと、禅は不立文字で枠がない分、全てを包括すると共に全てが細部に宿ることを見、普遍から個へと至るもので、書道や俳句は型があるからこそ、型の中に全てがあることを見いだす道で個から普遍へ至るということで、真逆からのスタートだが同じ道である、ということでしょうか。老大師が禅者は俳句や茶道や剣道などを伴走としてたしなむのが良いとおっしゃられておられたようですが、まさに入口が逆だからこそ双方的に真理につながるということなのかもしれません。
習うということは、今の自分以上にチャレンジすることで、我があれば決して越えることはできません。我を捨てて手本になりきる、景色になりきる、一心に心中するがごとく習った先に道にかなった自己に出会う、そういうお話だったように思われます。
年末の心慌ただしい日に、なんと素晴らしい時間だったでしょうか。
皆さま本当にありがとうございました。

追伸ですが、懇親会で今年もありがとうございましたーー!!の挨拶のあと、私は胴上げをされそうになりました。ですがきっと後でどんなに重かったかと言われそうなので固辞しました。でもお気持ちはとてもうれしくいただきました。皆さんありがとーーー!
ということで、全国の皆さまもどうか良いお年をお迎えくださいませ。来年も引き続き皆様のお力をいただきながらがんばってまいります。どうか暖かいご声援、ご参加、よろしくお願いいたします。

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